今回はロードバイクで千早赤坂村にある建水分神社に行って来ました。
建水分神社は楠木正成と関係が深い神社で一度訪れてみる事にしました。

石川スポーツ公園から出発してgoogleマップでは約50分との事でした。
距離は約12キロで距離も近いので運動がてら立ち寄る事にしました。

googleマップ参照

石川サイクリングロードを経由して

石川のサイクリングロードを経由して向かいます。
石川サイクリングロードは車が通らないので走りやすいのでよく利用します。

サイクリングロードの桜もさすがに散ってしまっていますね~!
少し名残惜しい気持ちになります。

サイクリングロードを抜けて河南町の農道近くを走っているとキレイな花が咲いていました。

建水分神社へ到着

石川スポーツ公園から出発して、50分ほどロードバイクで走っていると建水分神社へ到着しました。走ってみた感想として建水分神社までの道のりの勾配もあまり急ではないので走りやすい印象でした。

本殿に参拝

境内に入り、ロードバイクをとめて本殿に参拝する事にしました。

本殿は石階段の上に建っていました。
階段を登って参拝して来ました。

階段横の御由緒書き

階段横に御由緒書きの看板が建っていました。
文書が長いので神社のHPよりご由緒を抜粋します。

ご由緒について:
創建は第10代崇神天皇5年(西暦前92)で、同天皇が天下にみまわれ、人民が農事を怠った時、諸国に池溝を穿ち農事を勧められ、この時勅して金剛葛城の山麓に水神として奉祀せられた。

延長5年(927)修撰の『延喜式-神名帳-』に「建水分神社」と記載(河内國・石川郡・官幣・小社)の式内社である。

また延喜元年(901)撰上の『日本三代実録』には貞観5年(863)正五位下、貞観16年(874)従四位下、元慶3年(879)従四位上が朝廷から授けられるという叙位累進の昇叙記録が見える。

世々皇室の御崇敬極めて篤く、第96代後醍醐天皇の御代に至り、建武元年(1334)楠木正成公に勅して、元は山下にあった社殿を現地山上に遷し、本殿、拝殿、鐘楼等を再営させられ、延元2年(1337)神階正一位の極位を授け賜った。

次に同じ境内に建っている南木神社(なぎじんじゃ)に参拝しました!

次に南木神社に参拝しました。

南木神社は湊川合戦で足利尊氏に戦に敗れ、自害した楠木正成公(大楠公)をお奉りしています。

楠木氏の氏神である建水分神社内に南木神社は建てられたそうです。
南木神社にも参拝しました。

御由緒についてはウィキペディアより抜粋:
後醍醐天皇の臣・楠木正成が延元元年/建武3年1,336年5月25日に湊川の戦いで足利尊氏に敗れ、自害した。

その翌年の延元2年/建武4年1337年に、楠木氏の氏神ある建水分神社の境内に正成を祭神とする神社を建てることとなり、

後村上天皇から「楠木」の名字をもじった南木(なぎ)明神という神号を賜わり、南木神社が建水分神社の本殿の背後に建立された。

参拝後

今回は建水分神社(たけみくまりじんじゃ)と南木神社(なぎじんじゃ)に参拝しました。

千早赤坂等の南河内は歴史が古く、歴史的な建造物を見学すると歴史的な知識も深くなり楽しいですね。

歴史の勉強がてら南河内の史跡や建造物を見学してまわりたいと思いました~!!

アクセス

建水分神社(たけみくまりじんじゃ)、南木神社(なぎじんじゃ)
〒585-0041 大阪府南河内郡千早赤阪村水分357
HP:http://www.takemikumari.com/

参考サイト:

ウィキペディア 南木神社:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE

ウィキペディア 楠木正成:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90



投稿者

タロちゃん

アラフォーサラリーマン。 休日の過ごし方は登山、ロードバイク、散歩、ゴルフ、観光地巡り、カフェでの読書、友人との会食行きつけ飲食店の開拓などして過ごしています。 アウトドア好き、アクティブに行動する事が得意です。 ブログでは趣味や観光、登山、ロードバイク、飲食店のについて記載しています。

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